2015年10月27日

45年の軌跡 No2


 最初からの顧客もずーっと来て下さり・・・・
 60名以上も、お亡くなられましたが・・・・

 思いきり自分ペースでのデザインをさせていただき
 プレタポルテの台頭がしだし、それに勝つため
 デザイン~仮縫い~縫製,迄の期間を短くして
 従業員には、ハードな仕事をしていただきました。

 仕事場の縫製師仲間のトラブルのないのも
 有名みたいでした。

 美しいものに対する興奮の強い私・・・
 自負する訳ではないが、一年前の生地の契約時は
 興奮の余り契約生地数は、他店と比べ群を抜いて
 多かったようです。

 瞬時にお客様のイメージと好みがひらめき
 仕入れた生地は、見事に的中し、本当に
 喜びの仕事へのつながりになったものです。

 今、思うと、あんな手のこんだデザインの仕事
 を文句も言わず、期日までに仕上げてくれた
 洋裁師たち・・・・

 お客様、そして従業員、のご協力あっての
 今日を迎えられ、
 今更、感謝しても感謝しきれない・・思い、

 今頃、気付く事、恥ずかしく
 申し訳なく思います。

 本当に、本当に有難い事です。

 生涯現役との思いで始めたオーダの仕事

 何時までも、デザイン力が枯れない様
 多岐にわたり、感動、感性を鋭くする事に
 努めたいと思います

 そして、デザイナーの強い想いである
 あらゆる女性を美しく彩る事に情熱を
 かけたく思います。

 今後共よろしくお願いいたします。


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  45周年の感謝を込めて、西鉄グランドホテルで感謝セールを行います。
     是非、ご来場下さい。 心よりお待ち申し上げております。



  


Posted by ブティック ハシモト at 18:16Comments(0)着る装い

2015年10月16日

45年の軌跡 No1


デスクを持たないデザイナーが3人 
見習いデザイナー3人
デスクありのデザイナー7人 
その中で一番年下の私

朝起き、テレビを観ていたら大火災の映像・・・・
わぁスゴイ!!と・・・
何んと私が勤めているお店でした。

スッタもんだの結果、渡仏の予定をキャンセル
出店を何人かのお客様に奨められ、
決断がつかないまま・・・・

100名近くいた洋裁師のトップの人の
“橋本さんがお店したら付いて行く”
の言葉に迷いが、ふっ切れました。

時代が良かったのでしょう、
住所録も焼け、あてずっぽうの住所に案内状を出したり・・・

お店?をオープン!
何事も幼稚な私に同情票が集まり、
次から次とお客様が・・・

それと、同時に受註の折、前入金と
本当に有難ずくめで・・・・

どんどん、軌道に乗り、洋裁師も6人からスタート
(これも、笑われ、心配かけました)
18人になりました

しかし、それに反し私の性格が、1+1=2 なので・・・
従業員の接し方は友人みたいで・・・・
(もっとも、元の店の人達でした)

貫禄も何にもない自分に、戸惑う事ばかり

先輩のデザイナーの方々も何人か組んで、皆独立
(私は年若でしたので、誰よりも一番にとの思いで、始めました)

若かったし、デザインは、、湯水の如く湧く

その時代は、残業は、当たり前の時代で
よく働かせました。 自分の雑用は夜中も
多々あり、しかし、嬉々として、働いたものです

経験も浅いし、色々の面で未熟な私の店が
こんなに繁盛していいものか?可笑しいのでは・・・
と、思い、いつも自分自身、
奢ることが無いようにと自重していました。

お正月休みに苗場にスキーに行き、後ろから
追突?され(意識不明)脊髄損傷

我が家に帰る迄の、語るも聞くも涙・・・
 お笑い話です、

何か月も入院 (この仕事は、人替えは出来ない)
同業者からの入院の見舞いのおり、閉鎖?をしなくてはと
悲壮な面で入院していると思ったのに
期待?はずれで、逆に面白い怒り方をされた。

このとき、”ああ、やっぱり来ました!
繁盛におごり高ぶらない様、こんな型にしたんだ
”これだ!’神様が与えたのだと受けて立ちました。
お見舞い客のご心配を裏切ったのでしょう

この年は税務署迄入り本当に散々でした。

後に、40歳の裁断師に子供が出来たとの事
で私、てっきり辞めると判断、先走って
裁断師の手配したことが裏目に・・・
(皮肉にも、その月は受注が120着もあり)

私のコミュケーション不足で、彼女は5人引きつれ
反旗を起こし辞めてしまいました。

その人達で縫製の店を立ち上げ、デパートから声がかかり
順調に行っていたらしいが、早くに解散したとの事。
その時の人から声が随分かかりましたが・・・

一切受け付けない、私の素直だった “ へそ ” が
その時、曲がっていた様です。

私の仕事人生で、先の骨折と、多忙の時の6人も
辞めた時の痛手は、最大なるダメージでした。

その後の生き方に、あの二つを乗り越えた実績
それらが私に力を与えたと思います。

こんな事初公開したのは、45周年を迎え
言えたのでしょう 私もやっと大人になったのかな・・・


          西鉄グランドホテルでのフアッションショー   

この間、5周年は、全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル)
20周年は西鉄グランドホテルでフアッションショーを兼ねて、
シャンソンの夕べと・・・
     還元、還元 と楽しく支出しました。

  毛皮ショーも10何回とこれも愉快にやりました。


                              つづく  


Posted by ブティック ハシモト at 17:02Comments(0)生活の装い

2015年10月05日

何事もー楽しく


   9本の指を失った登山家が,エベレスト登頂に未だ
   単独で挑み続ける単独登山家栗城氏の言葉

    (今回9月27日登頂断念された)
   
  
   “ 山の事故の大半は体力や、技術的でなく
       精神的なものが引き起こすと言われている ”

   登山家の先輩からは、 “ 楽しくなかったら下山しろ ”
     と教わりました ― との事

   何事も共通する事だと ―― 思いました。



   オーダを受注して、デザイン、仮縫いの段階で
   本当に楽し ( ノリノリにならないと・・・ )

   仕事が出来たその時の作品は、
   やはり、出来上がりに、
   納得、満足するものです。

 
   私の仕事の場合、私一人の心情でなく、
   対お客様と同じ次元で、楽しまなくては

     意味がない。

  
   出来上がりの良し悪しは、お客様と私との
   共同作業が結果を生みます。


   先日、初めてのお客様が、仮縫いの時

   “ あら!なんだか?とっても、楽しく、うれしいのよ ”
           と、おっしゃる。

   ( この方、失礼ですが、しっかり、ご自分をもった個性的な方 )

   “ あら!私も楽しく、嬉しい気持ちで仮縫いしてま ― す”   と


   上がりは、本当に、お客様にも私も、満足なものでした。

   心が通じ合うーという何にまして大切な事なのですネ

      ありがたいものです。  


Posted by ブティック ハシモト at 18:56Comments(0)心の装い